
伊勢神宮。
三種の神器の「鏡」が置かれ、
天照大神を祀(まつ)る、
日本の神社における、最も古い神の聖域。
さて、シリーズ展開のこの「神々の気配」、第1回からだいぶ時間があいてしまいました。
伊勢というところが、あまりにも壮大な場所なため、1回目を書いたあとにどんな順番でみなさんに伝えたら良いやら、いろいろ迷いが出てきまして...。
そして、わたしにとって生まれて初めてのこの連載を書かせていただく機会、緊張したせいか、ガチガチな文章をUPしてしまいました(笑)。そんなこんなだったため、第2回はリラックスモードで、「ですます」体で記事を書きたいと思います。
さて、連載を続けるにあたり、パワースポットについて改めて考えてみました。「パワースポット、パワースポット」って言うけれど、パワースポットって一体なんなのでしょう?みなさんはなんだと思いますか?
三省堂の「デイリー新語辞典」によると
「パワースポットとは心身を活性化させたり,心が癒されたりするとされる場所。(近年,女性誌などで内外の著名な聖地をさす語に用いられ,観光分野などで注目されている)」
とあります。なるほど、ごもっとも。ですが、わたしはもっと単純に考えたらいいと思っています。わたしは写真家なので単に「たくさんシャッターが切れるところが、パワースポットだ!」と思います。そういう場所に行くと、とにかくノッてノッて乗りまくります。いろんなものが「撮って撮って」と語りかけてくるような感じなのです。
そういう時のわたしは、あちこちでパシャパシャ撮って、なかなか前へ進まないので一緒にいる友人はあきれるばかり(笑)。なんといいますか、お腹が空いた子供がやっとご飯にありつけてガツガツご飯を食べている状態に近い、と言ったらみなさんのイメージに合うでしょうか。写真家にとってはそういうシャッターチャンスが「ご馳走」、そしてそういうご馳走がたくさんある場所がパワースポットなのです。
では、一般的にはどうでしょう?多くの人にとって「パワースポット」とは、「純粋な気持ちになれるところ」「まっさらになれるところ」なのではないでしょうか?

例えば、小さな赤ちゃんがくるくる回るオモチャが楽しくて楽しくて手をたたいて大笑いしているとき。または、犬が夢中で何かを追いかけている時の、「うひゃひゃひゃひゃーっ!」っという感じ(犬はそう言いませんが、きっとそう感じていると思われるとして)。わたしたちがそんなフィーリングに近い気分になる時に、わたしたちはパワースポットにいるのだと思います。
藤原紀香さんも著書「紀香魂」の中で言っています。「私たちは赤ちゃんだったころ、なんの邪心もなく毎日ハッピーだったはず。それを大人になるにつれ忘れてしまいました。わたしは毎日、赤ちゃんだったころの気持ちにリセットしながら生活しています」と。正確な文章ではありませんが、そんなことを書いていました(彼女の「紀香魂」はいい本です。良かったら読んでみてください)。
手をたたいて大笑いする赤ちゃんは無心になって喜んでいますよね。そこには「お父さんを喜ばせよう」とか「ここは笑っとくところだ」とかいう思いはない。とてもピュアである状態。そういうモードになることが、「パワースポット」なのだとわたしは考えます。
さて、そんなパワースポットとして揺るぎのないポジションを、二千年の長きの間キープし続けている伊勢神宮。そのすごさはとにかく行ってみてもらえれば分かります。

伊勢へいくと、なんだか「ただいま」という気分になるのです。そして不思議なことに伊勢の地元の人々の多くが「おかえりなさい」と出迎えてくれます。わたしなりのパワースポットの定義に例えていれば、「赤ちゃんだったころの気分に戻ってくる」わけです。だから、どんどんシャッターが切れます。そして伊勢神宮が二千年という長い時間にパワースポットとしてその「ポジション」「環境」「心」をキープしていられている秘訣のひとつに「式年遷宮」があります。前回にも書きました、二十年に一度、お社を改築する事業です。
「でもいったいどうして二十年に一度も建て替えるの??」というのがわたしの最初の印象でした。そしてこの式年遷宮の深い意味を聞くと「なるほどなぁ」と納得なのです。

神社仏閣に詳しい方はもちろんご存知だと思いますが、伊勢神宮の建築様式は釘をいっさい使わずに作られています。第1回の連載で書かせてもらった、お木曵き車の車輪が車軸とこすりあって生まれる「ワン鳴り」という倍音も同じく宮大工さんの特殊な技術で、大工さんによって微妙に鳴り方が異なります。そうした特殊な建築様式や技術は、式年遷宮がコンスタントに続いている千三百年前から変わらず継承されています。
その秘訣が「二十年」に一度、というサイクル。この建築様式を継承する宮大工さん達は、例えば20歳の時に初体験、40歳の時にしっかりとその方法を体得し、60歳の時にそれを見守り次の世代に教えます。もっとも、戦国時代の日本人の寿命は50歳そこそこだったので、この3つ刻みの年齢が15歳、35歳、50歳、というサイクルだったかもしれないですね。そうして代々伝わって行くのです。そうしてお社はいつの時代も美しく、伊勢に集う人のための環境が保たれ、人々の気持ちを整えたのです。
もちろん、神道的にも意味があります。神道のコンセプトのひとつに「常若(とこわか)」と「清浄(せいじょう)」があるとのことです。これは伊勢で神道の研究をされているある人から聞いた話です。「常に若々しく、清々しくあること」とも言い替えられます。
だから、神様の棲む伊勢神宮の神殿は二十年に一度、建て替えられるわけです。また、神道の思想にのっとって、「常に若々しく、さわやかに、清々しく」過ごすことを、一般の人々にもすすめています。式年遷宮はそういった意味でも、人々に「リセット」の大切さを教えているわけです。近年はやりの「デトックス」とどこか似たところがありますね。
しかもこのご遷宮、非常に発達したリサイクルのシステムを持っていました。本殿に使っていた木材は、捨てるのではありません。いくつもある伊勢神宮内の鳥居に再利用され、さらに取り替えられた古い鳥居は伊勢神宮の周辺にある神社(なんと百二十五も神社やお社があります)の鳥居や、お参りする人のお守りなどに再利用されていくのです。すごく理にかなっている感覚がありませんか?「生きとし生けるものに感謝し、共存する」という神道の考え方というのはとてもECOな考えかたにつながるわけです


そして式年遷宮を迎えるに当たり、6年も7年も前から準備が始まります。これらも非常に興味深いプロセスです。最初は、実際の建築作業に使う木材の切り出しから始まります。木を切り出す際には、山に「これから木を切らせてもらいますよー。木を与えてくれるなんて本当にありがたいです。感謝します。」といったような儀式を行います。
伊勢神宮の神官たちは盛装をし、伐採の際には平成天皇のお姉さんにあたる池田敦子さま(祭主さまという、伊勢神宮の代表を務められています)も参加、各関係者の見守るなかで大木がドドーン!と山に音を響かせて倒れていくわけです。そうやって、1つ1つ、山や水やいろんな神様に感謝しながら、丁寧に儀式を重ねていくのです。木曽の深い深い山のから伐採されたご神木は、各地をまわり、それぞれの土地でお祭りが行われ、人々は木を曵いて二十年に一度の大きなお祭りを楽しみます。ご神木が曵かれていく様子を涙をためながらおがむお年寄りもいるそうです。そうした人々は二十年前のお木曵きを思い出し、その間にあった家族の成長や出来事などに思いを馳せながら、ご神木を見守ります。「二十年に一度」というこの機会に、人々はさまざまな「リセット」をするのです。
なかなか粋な仕組みではありませんか?
式年遷宮って。宮大工さんたちによる高度な技術の継承、自然に対して畏敬と感謝の念を新たにする機会、日々の生活や長い年月の生活を振り返ってリセットする機会…。
デトックスやECOなど、近年着目されている概念に似た形をすでに持っていたりもします。式年遷宮は、千年単位での人々の文化や生きるための知恵を継承させる、壮大なシステムなのです。連載第1回で書かせていただいた「お木曵き」で響いた「ワン鳴り」の「ブオォォォーーン」という音は、時を超えて生命や祖先の営みについての物語を語りかけてくれるようでした。伊勢がパワースポットとしてそのパワーを生き生きと保ち続けている理由、それには式年遷宮というリセットブースターが存在するのです。
「神々の気配」伊勢編 その参へ続く