2007年06月13日

〜その壱 二十年に一度、倍音なる響き〜

「この行事ではご神木をみんなで曵くのだけれど、そのときに車輪から出る倍音がすごいんですよ」
お世話になっているヒーリングサロンのMさんからの言葉に、猛烈に惹かれた。




速攻で、伊勢の女性神職をされている美濃部圭子さんの携帯に電話。

そして呼び戻されるように伊勢へ向かった。
二十年に一度しか行われないある行事に参加するために。

2年前に生まれて初めて行った伊勢の深遠な森の中に差す光は美しく、巨木に覆われた森はひんやりとしていて、結界を超えた異空間のようであった。
どこかしら、師匠の作品で見たことのある屋久島にとても似ている気もした。

「静謐」という言葉がピッタリくるその空間、明らかに他の土地とは違う空気が流れていた。そんな伊勢も今回はお祭りモード一色。6年後に控えた式年遷宮へ向けてのお祭りのひとつ「お木曵き行事」で、伊勢じゅうを威勢のいい声が鳴り響く。


二千年の歴史を持つ伊勢神宮を上げての式年遷宮(しきねんせんぐう)とは、二十年に一度ご神殿を建て替え神様に新しい社にお遷りいただくという行事。今年はそのご神殿の柱や材木となる神木を伊勢市内から神宮まで曵いていくのである。

わたしが強烈に惹かれた「倍音」はそのご神木を曵く車輪の軸から出てくる音。例えると、クジラが鳴くような音であり、チベットの高僧が吹くラッパの音であり、法螺貝の音。

「ブォォーン」と鳴る音は「ワン鳴り」と呼ばれ、長さ7m,重さ4トンにもなるご神木と共に圧倒的な存在感を周囲に示していく。

「エンヤー!エンヤーと威勢のいいかけ声と共に、全国から集まった参加者が、二百メートルの綱を曵き、ご神木を曵く。遠くからワン鳴りが鳴り響く。
綱を曵く参加者の横には、伊勢在住の氏子さん(領民さんと言う)たちが先祖代々のお祭り歌「木遣り唄」とかけ声をかけてくれる。



そのかけ声に合わせ、励まされ、お木曵き車はゆっくりと進んでいく。
ワン鳴りの響きは、先祖代々の思いを乗せて、曵く人の心に響いていく。

倍音と共にご先祖たちと思いが重なるような瞬間、
日本有数のパワースポット伊勢で、全国の名も知らぬ人たちの心が一つになった。


-「神々の気配、伊勢編」その弐へ続く


2007年07月14日

〜その弐 式年遷宮の壮大なシステム〜


伊勢神宮。
三種の神器の「鏡」が置かれ、
天照大神を祀(まつ)る、
日本の神社における、最も古い神の聖域。

さて、シリーズ展開のこの「神々の気配」、第1回からだいぶ時間があいてしまいました。
伊勢というところが、あまりにも壮大な場所なため、1回目を書いたあとにどんな順番でみなさんに伝えたら良いやら、いろいろ迷いが出てきまして...。
そして、わたしにとって生まれて初めてのこの連載を書かせていただく機会、緊張したせいか、ガチガチな文章をUPしてしまいました(笑)。そんなこんなだったため、第2回はリラックスモードで、「ですます」体で記事を書きたいと思います。

さて、連載を続けるにあたり、パワースポットについて改めて考えてみました。「パワースポット、パワースポット」って言うけれど、パワースポットって一体なんなのでしょう?みなさんはなんだと思いますか?
三省堂の「デイリー新語辞典」によると


「パワースポットとは心身を活性化させたり,心が癒されたりするとされる場所。(近年,女性誌などで内外の著名な聖地をさす語に用いられ,観光分野などで注目されている)」

とあります。なるほど、ごもっとも。ですが、わたしはもっと単純に考えたらいいと思っています。わたしは写真家なので単に「たくさんシャッターが切れるところが、パワースポットだ!」と思います。そういう場所に行くと、とにかくノッてノッて乗りまくります。いろんなものが「撮って撮って」と語りかけてくるような感じなのです。
そういう時のわたしは、あちこちでパシャパシャ撮って、なかなか前へ進まないので一緒にいる友人はあきれるばかり(笑)。なんといいますか、お腹が空いた子供がやっとご飯にありつけてガツガツご飯を食べている状態に近い、と言ったらみなさんのイメージに合うでしょうか。写真家にとってはそういうシャッターチャンスが「ご馳走」、そしてそういうご馳走がたくさんある場所がパワースポットなのです。
では、一般的にはどうでしょう?多くの人にとって「パワースポット」とは、「純粋な気持ちになれるところ」「まっさらになれるところ」なのではないでしょうか?
例えば、小さな赤ちゃんがくるくる回るオモチャが楽しくて楽しくて手をたたいて大笑いしているとき。または、犬が夢中で何かを追いかけている時の、「うひゃひゃひゃひゃーっ!」っという感じ(犬はそう言いませんが、きっとそう感じていると思われるとして)。わたしたちがそんなフィーリングに近い気分になる時に、わたしたちはパワースポットにいるのだと思います。

藤原紀香さんも著書「紀香魂」の中で言っています。「私たちは赤ちゃんだったころ、なんの邪心もなく毎日ハッピーだったはず。それを大人になるにつれ忘れてしまいました。わたしは毎日、赤ちゃんだったころの気持ちにリセットしながら生活しています」と。正確な文章ではありませんが、そんなことを書いていました(彼女の「紀香魂」はいい本です。良かったら読んでみてください)。
手をたたいて大笑いする赤ちゃんは無心になって喜んでいますよね。そこには「お父さんを喜ばせよう」とか「ここは笑っとくところだ」とかいう思いはない。とてもピュアである状態。そういうモードになることが、「パワースポット」なのだとわたしは考えます。

さて、そんなパワースポットとして揺るぎのないポジションを、二千年の長きの間キープし続けている伊勢神宮。そのすごさはとにかく行ってみてもらえれば分かります。

伊勢へいくと、なんだか「ただいま」という気分になるのです。そして不思議なことに伊勢の地元の人々の多くが「おかえりなさい」と出迎えてくれます。わたしなりのパワースポットの定義に例えていれば、「赤ちゃんだったころの気分に戻ってくる」わけです。だから、どんどんシャッターが切れます。そして伊勢神宮が二千年という長い時間にパワースポットとしてその「ポジション」「環境」「心」をキープしていられている秘訣のひとつに「式年遷宮」があります。前回にも書きました、二十年に一度、お社を改築する事業です。

「でもいったいどうして二十年に一度も建て替えるの??」というのがわたしの最初の印象でした。そしてこの式年遷宮の深い意味を聞くと「なるほどなぁ」と納得なのです。

神社仏閣に詳しい方はもちろんご存知だと思いますが、伊勢神宮の建築様式は釘をいっさい使わずに作られています。第1回の連載で書かせてもらった、お木曵き車の車輪が車軸とこすりあって生まれる「ワン鳴り」という倍音も同じく宮大工さんの特殊な技術で、大工さんによって微妙に鳴り方が異なります。そうした特殊な建築様式や技術は、式年遷宮がコンスタントに続いている千三百年前から変わらず継承されています。
その秘訣が「二十年」に一度、というサイクル。この建築様式を継承する宮大工さん達は、例えば20歳の時に初体験、40歳の時にしっかりとその方法を体得し、60歳の時にそれを見守り次の世代に教えます。もっとも、戦国時代の日本人の寿命は50歳そこそこだったので、この3つ刻みの年齢が15歳、35歳、50歳、というサイクルだったかもしれないですね。そうして代々伝わって行くのです。そうしてお社はいつの時代も美しく、伊勢に集う人のための環境が保たれ、人々の気持ちを整えたのです。

もちろん、神道的にも意味があります。神道のコンセプトのひとつに「常若(とこわか)」と「清浄(せいじょう)」があるとのことです。これは伊勢で神道の研究をされているある人から聞いた話です。「常に若々しく、清々しくあること」とも言い替えられます。
だから、神様の棲む伊勢神宮の神殿は二十年に一度、建て替えられるわけです。また、神道の思想にのっとって、「常に若々しく、さわやかに、清々しく」過ごすことを、一般の人々にもすすめています。式年遷宮はそういった意味でも、人々に「リセット」の大切さを教えているわけです。近年はやりの「デトックス」とどこか似たところがありますね。

しかもこのご遷宮、非常に発達したリサイクルのシステムを持っていました。本殿に使っていた木材は、捨てるのではありません。いくつもある伊勢神宮内の鳥居に再利用され、さらに取り替えられた古い鳥居は伊勢神宮の周辺にある神社(なんと百二十五も神社やお社があります)の鳥居や、お参りする人のお守りなどに再利用されていくのです。すごく理にかなっている感覚がありませんか?「生きとし生けるものに感謝し、共存する」という神道の考え方というのはとてもECOな考えかたにつながるわけです 


そして式年遷宮を迎えるに当たり、6年も7年も前から準備が始まります。これらも非常に興味深いプロセスです。最初は、実際の建築作業に使う木材の切り出しから始まります。木を切り出す際には、山に「これから木を切らせてもらいますよー。木を与えてくれるなんて本当にありがたいです。感謝します。」といったような儀式を行います。
伊勢神宮の神官たちは盛装をし、伐採の際には平成天皇のお姉さんにあたる池田敦子さま(祭主さまという、伊勢神宮の代表を務められています)も参加、各関係者の見守るなかで大木がドドーン!と山に音を響かせて倒れていくわけです。そうやって、1つ1つ、山や水やいろんな神様に感謝しながら、丁寧に儀式を重ねていくのです。木曽の深い深い山のから伐採されたご神木は、各地をまわり、それぞれの土地でお祭りが行われ、人々は木を曵いて二十年に一度の大きなお祭りを楽しみます。ご神木が曵かれていく様子を涙をためながらおがむお年寄りもいるそうです。そうした人々は二十年前のお木曵きを思い出し、その間にあった家族の成長や出来事などに思いを馳せながら、ご神木を見守ります。「二十年に一度」というこの機会に、人々はさまざまな「リセット」をするのです。

なかなか粋な仕組みではありませんか?
式年遷宮って。宮大工さんたちによる高度な技術の継承、自然に対して畏敬と感謝の念を新たにする機会、日々の生活や長い年月の生活を振り返ってリセットする機会…。
デトックスやECOなど、近年着目されている概念に似た形をすでに持っていたりもします。式年遷宮は、千年単位での人々の文化や生きるための知恵を継承させる、壮大なシステムなのです。連載第1回で書かせていただいた「お木曵き」で響いた「ワン鳴り」の「ブオォォォーーン」という音は、時を超えて生命や祖先の営みについての物語を語りかけてくれるようでした。伊勢がパワースポットとしてそのパワーを生き生きと保ち続けている理由、それには式年遷宮というリセットブースターが存在するのです。

「神々の気配」伊勢編 その参へ続く

2007年09月11日

〜その参 神々を継承する人々〜

こんにちは。長雨の季節になりました。先月8月(2007年)の更新は夏休みをいただき、2ヶ月ぶりの記事。
アンニュイな秋雨シーズン突入です。雨といえば、今年の台風9号は凄まじかったですね。台風中継で川の幅が普段の10倍にふくれ上がった東京・多摩川の映像を見ながら、「伊勢湾台風」という言葉がふと浮かびました。
思い返せば4年前の私にとって、「伊勢」とは「伊勢エビ」「伊勢湾台風」そして「なんだかすごいところ」くらいの印象しかありませんでした。それが、3年前にとあるきっかけで伊勢の人々と神宮のファンになってしまった私。ご縁とは不思議です。


伊勢エビならぬ伊勢人(いせびと)
ご縁とは不思議です。大きなカメラを持ってパチパチと写真を撮っていると、ついお友達が増えていくのが何やらわたしの性分のようです。伊勢においてはその傾向がさらに強まります。なぜなら伊勢人(いせびと)のみなさんは「おかえりなさい」の気持で声をかけてくれるから。伊勢についてみなさん熱心に教えてくださいます。
そしてそんな伊勢人の習慣は今に始まったことではなく、驚きの歴史によるものなのです。今回はそんな伊勢人に注目しながらお話を進めたいと思います。


ええっ?!伊勢へ無料で行ける?!
そうなんです。実は無料で行けます。
といっても江戸時代の話です。ある伊勢人の方のお話によれば、江戸時代は「おかげ」と書いた笠をかぶり、ひしゃくを持っていればその人は「お伊勢参り」をしているという目印だったそうです。そしてこの2つの目印を持っている人は、伊勢への道中は無料で旅行が出来たのだというのです。
道中は、ひしゃくにお金を入れてもらい、食べ物も施してもらいつつ伊勢へ。施す側でお金がない人からは、一晩の宿を提供してもらいます。そうした行為を「施行(せぎょう)」と言います。施行する人々、特に伊勢の人々はこうしてお伊勢参りの人々をサポートすることで神様に奉仕する、というならわしでした。伊勢人の「おかえりなさい」の心意気はこうした背景をもとに培われてきたのです。
ちなみに「士農工商」でおなじみの階級社会だった江戸時代、女性や奉公人は旅行を禁じられていた時代でもありましたが、この「お伊勢参り」だけは例外。女性であっても、奉公人であっても、伊勢にお参りするのであれば許可がもらえたのです。しかも旅費が無料で、です。この「施行」を取り上げてみても、さまざまな仏教の宗派がひしめく日本の中で「伊勢神宮」だけは別格であり、人々の精神的支柱をなしていたことが伝わってきます。では、その精神的な支柱とは一体なんなのでしょう?


伊勢神宮とミス・ユニバース
意外に知られていないことですが、伊勢神宮、とくに内宮(ないくう)でお参りする際には「家族が今年も無病で過ごせますように」といった普通の神社でするようなお願い事はしないことになっています。では一体何を祈る場所なのでしょうか??
お分かりになる方は珍しいと思います。実は「世界平和」なのです。「ええ?なんで??まるでミス・ユニバースのコンテストのスピーチみたい!」とわたしは思わずニヤリ(笑)。でも冗談ではなく、本当です。
神道の根本的な思想である「八百万の神々」への敬う心、この世に存在するすべてのものに感謝する心、つまり「生きとし生けるものすべての平和を祈る」所なのです。いやはや、スケールが大きなお話ですね。ミス・ユニバースの「紛争のない、飢えた子供たちがいなくなる、平和な世界を祈ります!」どころの話ではないのです。
生きとし生けるものですから、人間だけでなく植物や昆虫や獰猛な動物も入る訳です。まさに宇宙(ユニバース)レベル。ちなみに世界平和を祈るのはおなじみ天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀る内宮(ないくう)で、外宮(げくう)に祀られている豊受大神(とようけのおおみかみ)へは、衣食住や産業・商売について豊穣を祈ります(基本的は「世の中全体の豊穣」がメインで、現在は産業もそれに含まれているということでしょう)。
天照大神は女性の太陽神。太陽は太陽系を統率している訳ですからある意味「ミス・ユニバース(宇宙の女神)」とも言えるかもしれませんね。


1日だけは特別
こうして、「生きとし生けるものすべてを敬い、平和を祈る」という考え方。伊勢の地を踏み、伊勢人のみなさんのお話を聞いていると、ここがどうも「日本人の精神的支柱」の大きな柱であるように思えます。
それはカメラを構えてファインダーで景色をとらえるうちにどんどん身体に沁みて来るのです。もちろん神道や文化人類学のご専門の方のいろいろな学説はあると思いますが、いち写真家の私がカメラを片手にその土地からわき上がってくる感覚を通訳するとそうなります。
そして驚いたことに、伊勢人の方を中心にいまだにそうした考え方は習慣となって残っているそうです。それが「朔日参り(ついたちまいり)」です。これは、毎月1日に普段より朝早く起きて神宮に参拝し、「先月は無事にすごせました、来月もよろしくお願いいたします」と感謝するというもの。毎月のはじめにリセットをして、「感謝」をする。「感謝」という心がけであれば、平和の音色が聞こえてくるようです。こうした伊勢人の心がけには思わず背筋がシャンとしてくるものがありますね。


鏡の謎
さて、最後に伊勢で耳にしたエピソードを紹介したいと思います。この話には「なるほど!」と思わず膝を打ち…、もといパソコンのキーワードを打ちまくりました(笑)。
伊勢神宮に祀られているものに「鏡」についてのお話です。天皇陛下が即位するときに必要な「三種の神器」の中に「鏡」があることはご存知な方が多いと思います。その鏡、なんでも「鏡」という音のひとつひとつには意味があるそうです。


 =自分の中にある明るい部分
 =自分の中にある暗い部分
 =我が身


そして「かがみ」から「が」を取る、すなわち、人の心を磨き磨いて美しい心になったときに「が」が取れるそうです。そうすると「が」がなくなるので、「鏡」は「かみ=神」になります。「くもりなく心を磨きなさい、明るい部分に気付きなさい、そしたら神様と一緒になれます」ということだそうです。
このエピソードは神宮や神社で「鏡」を祭ることの意味の1つとも言われているとか。興味深いですよね。伊勢にいる「神々を継承する人々」・「伊勢人」の中にはこういった感覚の中で時を過ごし、語り伝えていく人々もいるのです。


伊勢神宮がパワースポットである理由--それは、そうやって心を磨く感謝のエネルギーが満ちているからかもしれないです。例えば、誰かがケンカを始めると、近くにいる赤ちゃんはその「気」を察して泣き出します。逆に周りの人がニコニコしていて感謝の「気」が満ちていたら、赤ちゃんは笑顔いっぱいはしゃぎます。そんな風に、ぜひ伊勢を感じてみてください。

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